旅好きで知られるスタイリストの伊藤まさこさんが、
冬の箱根ひとり旅の様子を綴った書き下ろしエッセイ。
後編では、のんびりと何もしない贅沢を味わう
「箱根小涌園 天悠」での時間をお届けします。
今度の週末は、ふらり箱根に旅してみたくなりそう。
雪の箱根の街を車が上っていくと、その先に待っていたのは、すっぽりと雪に覆われた外輪山。その稜線を望む「天悠」が、今日の宿です。さあ、ここのお湯はどんなだろう? 荷物を置くなり、そそくさと宿の5階にある「車沢の湯」へ向かいます。晩ごはんの前にまずはひと風呂浴びて、縮こまった身体をほぐそう。温泉に入ってお腹が空いたら、さぞかし晩ごはんもおいしいにちがいありません。
露天風呂に身を沈めるとどこからか聞こえてきたのは水の音。その先の暗闇にそっと目を向けると、そこには呉坊の滝という滝がありました。体はぬくぬく、頭と顔には冷たい雪。ああ、これならずっと浸かっていられそう。雪降る中、来てよかった。
シンシンと降る雪を眺めながらの食前酒に選んだのは、日本の酒蔵が作ったというスパークリングワインです。乾いた喉にシュワシュワが染み込んで、なんとも幸せな気分。新しい味との出会いも旅の楽しみのひとつです。
食事を終え、部屋に戻る途中、宿の中を少し散歩。本棚のあるロビーでソファに座って読書する人、窓の外の雪に包まれた庭園を眺める人、食後にもうひと風呂浴びに行く人、連れ立ってバーへと向かうご夫婦……どの人も、体はぽかぽかで気持ちも満たされているせいか、とてもよい顔をしている。見ているこちらまで、うれしくなってしまうのでした。
部屋は全部で 150室と聞いていたから、他の宿泊客の方と顔を合わせる機会が多いかなと思っていたけれど、窓の外の景色が広々しているのと、館内全体がゆったりと作られているせいか、ひとりの時間をたのしむには充分な静けさを保っていてくれる。運よくお風呂を独り占めすることもできたので、もうそれだけでここに来てよかった、そんな気分です。
気づくともう10時過ぎ。早寝の私はもう寝る時間です。明日は早起きして6階の「浮雲の湯」へ行こう。
朝起きると、雪はすっかり止んで、空の向こうは少し明るいところがのぞいています。まだぼんやりとした頭で部屋のバルコニーにあるお風呂につかりながら、少しだけ読書。その後、朝ごはんの前に、楽しみにしていた「浮雲の湯」へ。まだ朝の7時前だというのに、今日もう2度目のお風呂です。
お湯に浸かって暑くなったら、少し冷まして……を繰り返しているうちに、陽がだんだん高くのぼってきて、あっという間にそれはきれいな青空に。夜の時点では、帰れないかも? と思っていた雪模様も心配なさそう。
今日は1日休み。朝ごはんを食べたら、登山電車でがたんごとんとのんびり帰ろう。
きゅっきゅと雪を踏みしめながらの帰り道。昨日とはまったく違った様子を見せる箱根の山のなんときれいなこと。
宿から出ているバスで強羅駅まで送っていただき、登山電車に揺られ箱根湯本へ向かいます。一緒に乗り合わせた人たちもゆうべは温泉入ってのんびりしたのかしら? いつもの電車の車内と雰囲気が違うのは、旅の人が多いからかもしれません。
箱根湯本の駅に到着すると、まるで昨日の雪はなかったかのような街の様子。同じ川も同じ道も景色がまったく違うではありませんか。
なんだか夢を見たような一泊二日の旅。なんにもしないようで、じつは見たこと感じたことがいっぱいあった収穫の旅でもありました。これからもっとひとりの時間を増やして、自分の中の余裕みたいなものを増やしていけたらいいなぁ。こういう時間ってとても大切ですものね。
また来ます、今度は春の芽吹きの季節に。
スタイリスト。1970年、神奈川県横浜市生まれ。文化服装学院でデザインと服作りを学ぶ。料理や雑貨、テーブルまわりのスタイリストとして、数々の女性誌や料理本で活躍。なにげない日常にかわいらしさを見つけ出すセンスと、地に足の着いた丁寧な暮らしぶりが人気を集める。著書に『おいしいってなんだろ?』(幻冬社)『白いシャツを一枚、縫ってみませんか?』(筑摩書房)などがある。
http://instagram.com/masakoito29
※すべての情報は2018年3月1日時点のものです